こんにちは。税理士の湯本康平です。
こちらでは、『学生の本分であるお勉強をしなさ過ぎて、入れる大学が全くない』という前代未聞の状況だった私が、25歳で官報合格を果たした合格体験記です!
もし、今『第一志望の大学に合格できなかった…』『大失恋をして、この先私はどうすればいいの?』『自分も何かに全力で挑戦したい!』等、現在何かにくすぶっているような、特に若い世代に届くと良いなと思い書かせて頂きました。
あの映画『ビリギャル』を彷彿させるような?体験談だと勝手に自負しております。笑
ご興味があればぜひご一読ください♪
円満相続税理士法人 税理士 大学在学中から税理士を目指し25歳で官報合格。以後、法人税務を経て 現在は円満相続税理士法人にて、相続・事業承継のプロとして 申告・税務相談・執筆・セミナー講師として幅広く活動中! 詳しいプロフィールはこちら
税理士を目指したきっかけ
落ちた高校生活
私は、自分で言うのもあれなんですが、中学生まではそれなりにお勉強を頑張る、いわゆる普通の学生でした。
コツコツと自分なりに努力を重ねた結果、地元ではそこそこ有名な進学校に入学することができました。
当時の先生や同級生にも届いてほしいので、あえて高校名を出させて頂くと、私が入学したのは東京都立武蔵野北(むさしのきた)高等学校です。
校舎があの有名なスラムダンクのモデル校です!そして、女子の制服がめちゃくちゃ可愛いので、女子の入学希望者の方が多い印象です。
人間的に魅力的で面白い生徒が多く集まるので、ここで私も沢山の友人に恵まれました。
ただ、それもあってか学生生活(青春)があまりに楽しくなってしまい、肝心なお勉強を全くしない人間になってしまいました。
周りの友人も『全然勉強してなくてやばいよ、、』等口にするのですが、さすがは真面目な生徒が集まる学校です。みんなテストでは良い点数を取るんですよね。。笑
陰でコツコツとやること(お勉強)をこなしていたわけです。
全く勉強をしていないという周りの言葉を鵜呑みにしていた私は、定期テストの勉強などやるわけもなく、遊びまくっていました。
結果、定期テストの結果や学年順位は毎回後ろの方に居た気がします。
そんな状況で高校生活を謳歌してしまいます。
ただ、高校入学から3年経過した頃にやってくるのが、学生の登竜門『大学受験』です!!
高校3年生になった頃に学習塾には通い、自分なりに大学受験の勉強をしたつもりではいましたが、ここで事件が起こります。大学受験答練を受けた結果…
まともに入れる大学がねえ…
全てが遅かったのです。。
私は、特別地頭の良いタイプの人間ではないので、最後に悪足掻きをしたところで、今までコツコツと積み上げていた友人達と肩を並べられるほど世の中は甘くなかったのです。
泣く泣く何とか滑り込んだ大学に進学することになるのですが、こんな状況になっても改心しようという気はさらさら無く、むしろ大学生活もエンジョイするぞ!ぐらいの気持ちでいました。
↓ちなみに当時の高校3年生?の私(右)です(見るからに…といった感じですよね、、笑)
親から貰った一冊の古びた参考書
こんなどうしようもない私でしたが、大学1年の冬頃(だった気がします)にようやく転機が訪れます。
私は、東京経済大学という大学に進学しました。
JR国分寺駅から歩いて15分程の住宅街にある大学なのですが、こう言っては少々失礼なのですが、正直、決してお勉強のできる子達が集まる大学ではないです。。
(ただ、中には在学中に公認会計士に合格するような子もいるので、皆が皆というわけではない点は誤解無きように。あくまで相対的にというイメージです。)
相変わらず能天気のまま大学生活が始まるのですが、私はこの大学に入って大変驚愕したことを今でも覚えています。
おいおい、いくら何でも勉強できなさすぎるだろ…
恐らく、勉強ができないのではないのです。個人の能力が高い生徒は恐らく一定数はいるのですが、とにかく生徒のやる気がないのです!
中学単語のスペルもまともに書けない、平気で単位を落として留年する、こんな人たちがわんさかいました。
さすがの私もこれには驚き、ここでようやく自分の置かれた立場を省みます。
おれ、このままじゃダメだ…
思い立ったらすぐ行動が私の長所?です。
当時所属していたダンスサークルも辞め、付き合っていた彼女とも別れ、改心することに決めたのです!
ただ、
『勢いで全て捨ててしまったけど、具体的にこれからどうしようか、、』
『仮面浪人して大学受験に戻ろうか?ただ、もう20歳だしこれから大学受験に戻るのもな、、そもそも予備校代どうやって出す?』等々
と色々と悩んでいました。
そんな時に目の前に一冊の古びた『簿記3級』のテキストが目に入りました。
これは大学入学時、あまりに勉強しない私に、母が『せめて、大学生活で資格ぐらいは取っておきなさい。』と渡してくれたものでした。
一応経済を学べる大学だったこともあり、講義でも簿記の勉強はしていたのですが、『数学と違ってシンプルで分かりやすいな。結構面白いかも!』と感じたことを今でもよく覚えています。
これが、簿記との出会いでした。
そこから市販のテキストを買って簿記3級の勉強を独学で開始し、3級に合格するとその勢いで2級も合格することができました。
『あれ?勉強って案外面白いな!』と、何だか一生懸命勉強をしていた中学生の頃の感覚が蘇ってきたような気がしました。
これをきっかけに徐々に考え方が大人になっていき、人間的に成長していくことになります。
税理士を目指す
簿記2級までとんとん拍子で合格をしてしまった私は、この後のプランに悩んでいました。
『簿記が思ったよりも簡単に合格できてしまったなあ。これからどうするか、、』
そんな時、大学のとある特別コースの存在を知らされます。
どのような特別コースかというと、学内の一定の条件を満たすことで、会計士や税理士になるために大原やTACへ通うお金を全額大学側が援助してくれるというものでした。
(私は税理士の受講料しか知らないのですが、1科目1年間で約20万~30万円するんですよ!学生にしてはそうそう手が出せない金額です。)
一定の条件とは、簿記2級に合格することと、学内のとある試験に合格すること。ということで、案外ハードルは低めなものとなっていました。
正しい方向へ頑張っているときは、運も味方してくれるのでしょうか。
丁度簿記をとても楽しく感じていたこともあって、ここで決意が決まります。
どうせ大学生活何も残らないんだし、これ(簿記)でテッペンまで目指そう…!
という事で、当時20歳にして『税理士』を目指すことになったのです。
当時はどうしてもアルバイトをしながら勉強を続けたかったこともあり、科目合格制を取れる税理士を選びました。(会計士は短期決戦なので、アルバイトの時間をなかなか取ることができないこともあり、断念しました。)
勉強方法
結局は自分が集中できる時間がベスト
私は学生から勉強を始めたこともあり、社会人よりもずっと勉強時間を確保できたと思います。
ただ、日中は大学の講義があるため、なかなか手が付きませんでしたが、講義が終わると速攻で大原の自習室へ通っていました。遊びやサークル活動は全て断ち切りました!
やはり、家でやると色々な誘惑に駆られるので、まずは環境を変えてしまいました。
夜は、仕事終わりの社会人講座に混ざり講義を受けました。(当時は自分がダントツで若かったのではないかと思います笑)
講義が終わり、帰りの電車の中で理論の復習です。人間はすぐにおさらいをしないと1時間後には半分以上忘れているらしいですよ!
家に帰って遅めの夕食を取り、その後計算問題を1時間解いて寝る、翌朝の大学の講義へ行くという生活を送っていました。
勉強時間は朝型が良いとよく言われますが、私は朝があまり得意ではないタイプなので、基本的に夜型寄りだったかと思います。(と言っても、さすがに1時ぐらいには寝るようにしていました。)
朝頑張れるのに越したことはありませんが、無理に生活スタイルを変える必要もないのかなとも思います。結局は、自分が最も苦ではない時間に勉強できるのが一番良いのです。
ただ、電車の通学時間や約束の前の待ち時間等、『隙間時間』は馬鹿にできません!
隙間時間を制すものこそが試験を制すといっても過言ではありません。
リフレッシュも大事
ただ、勉強だけに没頭していたかというとそういうわけでもなく、リフレッシュも度々していました。
私の中でのリフレッシュは、『アルバイト』と『飲み会』でした!
アルバイトは、私はラーメンが大好きで、電車賃をかけてでも食べたいラーメン屋さんに足を運ぶほどという事もあり、学生のうちはラーメン屋さんでずっとアルバイトをしていました。(受験生最後の1年半程は会計事務所の入力バイトをしていました。)
1週間で隔日にアルバイトをしており、1日当たり5~6時間程働いていました。
ラーメン屋さんのアルバイトでは、学生ながら麺場(ラーメンをゆでる場所)を任され、お仕事が本当に楽しかったです。(今でも、たまーに『ラーメン作りてえなあ、、』と思ったりします笑)
同じように学生のアルバイトも沢山居て、サークルを絶ってしまった自分にとって本当に最高な仲間に出会えたなと思っています。
当時の従業員とは今でも繋がりがあって、ちょくちょく飲みに行ったりします。
普段は勉強ばかりしていた私ですが、このアルバイトの時間だけは勉強を忘れることができたので、お金を稼ぎつつリフレッシュもできました。
あと私はお酒が大好きなので、大原の確認テストが終わると友人や受験仲間とよく飲みに行ってました!
一般的な大学生とは正反対の生活をしていたので、中学や高校の頃の友人やバイト仲間が主な飲み友達でしたが、当時は税理士受験生の繋がりも沢山作っていました。
受験は孤独なものです。そんな時境遇を分かち合えるような仲間がいると本当に救われた気持ちになりました。
ただ、大原でいきなり声をかけてなんてことはしません笑(怖いですよね。見ず知らずの人間からいきなり『飲み行かない?』と誘われても、、)
そこで当時はTwitterで繋がって、とても気の合う受験生とよくオフ会をしていました。
一度サシで飲みに行き、次はそれぞれの知り合いを連れてきて紹介し合うみたいなこともしていました!なので、受験生にしては友人は多い方だったのではないかなと思います。
ただ、中には変な人も稀にいたのであまり積極的にはおススメしていませんが、受験仲間を簡単に作る方法の1つとして活用してみもいいかもしれません。
↓当時の写真(税理士受験生飲み会の様子)
(ラーメン屋さんのアルバイト)
私の受験歴
私の合格科目は、
『簿記論』『財務諸表論』『相続税法』『法人税法』『消費税法』です。
計5回の試験を受けて、官報合格を果たしました。
1年目:簿記論、財務諸表論
結果は、いずれも不合格でした。
当然ですが、簿記3級、2級のイメージで合格できるものではなく、現実の厳しさを知ります。
思い返してみると、全然理解をせずに闇雲に量だけこなす『つもり勉強』になっていたなと思います。
2年目:簿記論、財務諸表論
結果は、見事いずれも合格でした!
本当に嬉しかったです。
この年は、勉強量も勿論ですが、”理解すること”に注力しました。
『理解する=人に説明できる』だと思っています。
そこで、家に帰ったら母に理解したことを解説する練習をしました。その内容をあまり詳しく知らない人に、いかに分かってもらえるように説明するかというのが、一番の練習になります。
答練では、全て上位10%以内にいたと思います。
本試験の自己採点でも、大手予備校の出すボーダーライン、合格確実ラインを遥かに超えての合格となりました。
※今思い返すと、経験者の簿・財だったこともあり比較的ゆとりがあったので、消費税法を織り込んでもよかったなあ(^^;と少々後悔しています。
3年目:相続税法、消費税法
初税法科目の結果は、いずれも不合格でした。
更に、現実の厳しさを知りました。合格発表日には悔しさのあまり泣きましたね、、
やはり、勉強量が簿・財とは桁違いでした。
その上、税法は簿・財を合格した猛者達や長年勉強をしている経験者とも競争しなくてはならないので相対的に受験者層のレベルが上がります。
答練もほぼ上位には食い込むことなく、本試験の結果もボーダーライン少し下と実力不足を思い知らされました。
4年目:相続税法、消費税法
相続税法合格! 消費税法はまたしても不合格でした。
もうこの頃になると、勉強のコツが完全に掴めてきて、心のどこかで『おれ、多分税理士になるな、、!』という、妙な自信が芽生え始めました。
答練でも、相続税法も消費税法もほぼ無双状態でした。
相続税法にいたっては、上位10%を割ったことがありませんでした。(恐らく一番得意な科目だったんでしょうね笑)
本試験も相続税法はほぼトップなのではないかというぐらいの点数で、結果にもしっかり結びつきました。
消費税法は、、、この科目の結果が一番腑に落ちませんでした。何がいけなかったのか未だに答えが出ていません。
きっと『魔物』が潜んでいます。今後受験される方は気を付けてくださいね、、笑
5年目:法人税法、消費税法<官報合格>
この年が受験生最後の年となりました。
受験科目の中で、最も難易度が高く、勉強量もダントツで多い法人税法に何故か一発合格をしたのが、今でもちょっとした自慢です!
ここまで来るともう勉強の要領も分かってきているのと、最後の最後に運に味方されたんだと思います。
というのも、大手予備校である大原もTACも、絶対に出ないと言っていたタックスヘイブン税制がガッツリ出た年だったのです。
私は、しっかり対策していたのと、試験前日に何となくタックスヘイブン税制のページを眺めていたので、隅々まで理論を書き上げることができました。
消費税法も三度目の正直でしっかり合格できました★
↓(官報合格時の写真)
↓(歴代の合格通知書の写真)
税理士試験の合格発表と今の思い
合格発表は「インターネット官報」で見ました。自分の受験番号と名前を見つけたときは嬉しかったというよりも、心からホッとしました。もう、あの勉強をしなくていいんだ、、と。
気が付けば初受験から5年の月日が経っていました。中には、仕事がある程度落ち着いて結婚をするような友人もチラホラ出てきました。
私がこの税理士試験で学んだことは
・人生を無駄遣いして(サボって)いい時など一度もない
・いかに周りに支えてもらっているか
という事です。
私は、高校生活という大事な時期を本当に無駄遣いしてしまいました。
人生一度サボるとまあ大変です。取り返すのに、サボった時間の倍以上の時間がかかります。
そして、あそこまで落ちぶれてしまったのに、最後まで見捨てずに応援してくれた親や家族、縁を切らずにずっと応援してくれていた友人達には今でも感謝が尽きません。
この記事を書いている現在、税理士業界に来てもうすぐで早6年が経とうとしています。ようやく税理士という仕事を心から『楽しいな』と感じられるようになってきました。
まだまだ、若造ですが、積み上げてきた知識と経験をお客様にご提供できるよう、これからも精進していきます。
そして、当時改心した若かりし自分へ。あの時の決断、間違ってなかったよと伝えてあげたいですね(^^)